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【報告】シンポジウム「他力本願: 他者を通して大悲心に生かされる」

2024.05.24

鍋島直樹本学教授(左)とMark Unno氏(右)

2024年5月22日(水)11:00よりMark Ty Unno(University of Oregon    Professor of Religious Studies, Religious Studies,  Department Head)氏を招聘し、シンポジウム「他力本願: 他者を通して大悲心に生かされる」が、本学大宮学舎東黌101教室にて開催された。

 最初にUnno氏による基調講演が行われた。Unno氏は、大乗仏教とりわけ真宗他力の立場を、主体(subject)と客体(object)の関係性から示される。すなわち、われわれの住む世界は「私」である主体と、「私以外のもの」である客体とに分かれるが、この主客の関係性が「対」にあるのではなく「共に歩む」ものであるのが大乗仏教の立場であるとUnno氏は主張されるのである。そして、その事象を分かりやすく説明する例として二つの物語を紹介された。

 一つ目は、若いヴァイオリニストの話である。この物語は京都大学で行われた臨床心理学会でのとある発表内容がベースとなっている。ある日、14歳の若者がカウンセリングを受診しに訪れた。若者は幼少期よりヴァイオリンの才能に恵まれ、自身もヴァイオリンに魅せられ日々練習に没頭していた。しかし、遺伝的に99.9%の確率で将来失聴することが判明した。若者はその事実を受け容れることができず、深い悲しみから自身はすでに死んだと認識した。カウンセラーも何も言うことができず沈黙が続くまま日々が過ぎていった。ある日、若者は祖母の墓参りに訪れ、墓石を前に「なぜ私だけが」と、祖母へ自身の苦しみを吐露した。しかし、病気を遺伝することは苦しみを遺伝することだと気づいた時、「自分だけが」と思っていた苦しみは「自分だけではない」という命の絆に気づいた。その時、苦しみを知り共に歩むという新たな世界が見えた、というエピソードである。

 二つ目は、母と子の話である。この物語はUnno氏の指導を受ける学生が経験に基づいて創作したものだという。反抗期を迎えた娘は、過保護な母の言葉や行動に嫌気が差し、やがてそれが苦しみへと変化していったことで、家出やリストカットをするようになった。しかし、時間が経過することで、母親が苦労した中で自身を育てていてくれたことがだんだんと理解できるようになった。自分が理想とする母親像と、実際の母親との乖離が苦しみを生んでいたが、母親も同じく苦しみを抱え生きていることがわかると自分のこともだんだんと理解できるようになった。というエピソードである。

講演会の風景

 以上の2つのエピソードを通してUnno氏は「私だけ」「独りぼっち」というのが「自力の世界」であり、「自分は一人ではない」ことに気づくと開かれる自他・主客が共に歩む世界、これこそが「他力の世界」であると説明された。そして、「私だけ」ではないことに気づくこと、すなわち「他者に聞く」ことや「他者に対する深い理解」「仏の大悲心を聞く」それこそが「聴聞」であると示された。

 そして、自分だけの世界に固執するのではなく、他者を通して開かれる世界・自他共に歩んでいける社会、すなわち大悲心の世界に気づかされることが肝要であるとして講演を結ばれた。

 基調講演のあと、鍋島直樹本学文学部教授との対話が行われた。その中で鍋島氏は、真宗学という学問について言及し、昨今は文献を忠実に読むこと、史料の性質を検証することに比重が置かれており、自分を見つめ直す時間が少なくなっているのではないかと指摘し、理詰めも大切だがUnno氏の本日の講演内容のように、自分の中にある物語も大切にして欲しいと述べられた。

 その後の質疑では、「墓参りのエピソードは、祖母が還相廻向の菩薩となり若者の心の中に戻ってきたと思わされた」といったコメントが寄せられた。Unno氏は、親鸞が「一切衆生悉有仏性」(『涅槃経』)と味わったように、生きとし生けるものすべてがこの大宇宙の中を生きている、命の絆・繋がりに気づくことが重要であると話されたところで、シンポジウムは幕を閉じた。

記念写真

(文責:PD西村慶哉)