Center for Humanities, Science and Religion (CHSR)

人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター

ホーム 研究 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター > ニュース > 臨床宗教師のメタスキル-カフェデモンクコードを読み解く-

臨床宗教師のメタスキル-カフェデモンクコードを読み解く-

2022.07.21

講  師:金田諦應氏(カフェ・デ・モンク主宰、日本臨床宗教師会副会長、曹洞宗通大寺住職)
開催日時:2022年6月14日(火)15:15~16:45
場  所:龍谷大学大宮キャンパス清和館ホール
主  催:龍谷大学世界仏教文化研究センター応用研究部門
     人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター(CHSR)
共  催:実践真宗学研究科
参加人数:20名

【開催概要】

【講演】
金田諦應氏(カフェ・デ・モンク主宰、日本臨床宗教師会副会長、曹洞宗通大寺住職)をお迎えし、「臨床宗教師のメタスキル-カフェデモンクコードを読み解く-」というテーマでご講演をいただいた。

まず金田氏は、臨床宗教師を成熟した宗教者であると定義される。臨床宗教師は布教を行わない宗教者であるが、現場では信仰の深さと、宗教者としての成熟度が何よりも問われる。そしてその役割を、各宗派の教義や信仰に導くのではなく、それぞれの物語が立ち上がるまで、長い時間をともにすることであると言われる。

本講義のテーマであるメタスキルを氏は、①臨床宗教を基底部分から支える成熟度②現場と教義との応答の中で培われていくもの③削ぎ落としてもその場に立ち続けることができる力(佇まい)、の三つを明示した。これに至るまでには、氏の崩壊と再生(復活)の物語があった。

 3月11日、東日本大震災の当夜。雪が降り、ちりが落ちて、空には満点の星空。海には無数の遺体が浮ぶ景色。宇宙が「生と死」をまるごと包む、氏の中には宇宙の冷徹な哲理と慈悲が同時に存在していたという。ここから氏の活動が始まる。

 四十九日までは火葬場で毎日ようにボランティアの読経。四十九日に初めて追悼行脚。読経をともにした仲間と、牧師が列をなして、ヘドロと遺体の臭いがする中を、海岸まで歩いた。体系的な教義が崩壊し、現場を素手素足で歩く中で、それぞれの教義がアップデートされる。

 傾聴移動喫茶「café de monk」は、仮設住宅に炊き出しに行った際、引き留められる医師団の姿を見て、僧侶の役割を傾聴の中に見いだしたことが始まりである。その目的を氏は「破壊され、凍り付いた時間と空間を再び繋ぎ合わせ共に未来への物語を紡ぐ」こと、と語る。9年間で石巻を中心に45カ所、計373回の活動である。そこで向けられた「どうして俺が生き残って孫が死んだ」「誰が生と死の境を決めている?」「遺体が見つからない」「助けることができなかった」という被災者の悶苦の言葉を前に、あらゆる宗教的言語を拒み逃げ出す自分がいたという。次第に自と他の境界がなくなる感覚になり、そこ(café de monk)にとどまるには人の力ではない「何か」の力がなければならない。最初の1年は、逃げ出したり戻ったりの苦悩の日々を繰り返したと振り返られた。

 震災から1年、一周期追悼行脚。漂う磯の香り、漁師の姿、再生する海を前にすべての生死を包括する超人称のいのちを知る。自己に内在する矛盾が活動のエネルギーであると氏は語る。活動3年目に経験した鬱からの再生では、異相の異なる慈悲に支えられ、自力と他力を行き来する中で、慈悲が深まることを知ったと語られた。

 このような再生の物語、またカフェ・デ・モンクから読み取れる、臨床宗教者の役割と課題を5つにまとめて提示された。

①「場の生勢力」(大乗空観哲学の“空”に通ずる。場をほぐす力も重要。)

②「傾聴力と耐性」(傾聴力とは自他の境界線を限りなく越えてゆく作業。耐性力とはその場にとどまり続ける力。慈悲のコントロールのために智慧がなければならない。自己を整え、環境を整え、場を整える。)

③「多様な宗教感情への対応力」(危機的状況にあったときに解き放たれる宗教感情を引き出す力・感じ取る力が現場の宗教者に必要かこと)

④「死者を繋ぐ力」(位牌やお地蔵さんによって聖者と死者がつながるきっかけ)

⑤「脱教団・超出教義」(教団・教義にとらわれず、それらを咀嚼して悲しみの現場を見る力)

 そして氏は、臨床宗教師の最終形を、「結果を求めてはならない」「結果に満足してはならない」「達成感という言葉は存在しない」「目標・下心の排除」を述べられた。最後に金田氏自身が目指す姿を、「臨床宗教師十八条の心得」として語られ、講演を閉じられた。

【コメント】
○鍋島直樹(龍谷大学文学部)教授
 金田氏の「悟りや救いを饒舌に説く事は宗教・宗派の自己満足になっていても、一人一人の救いに はならない。宗教・宗派的な文脈で語られる「救い」ではなく、その人の物語の文脈で語られる「救い」が自然に落ちてくるまでじっと待つ、これが現場を歩く宗教者に求められた「佇まい」であり「耐性」なのだ」という言葉が凝縮された言葉として響いてきたと思いを語られた。

○石川さん(龍谷大学大学院実践真宗学研究科)
 実際に遺族の話を聞く機会があったが、「宗教者よりも同じ境遇の人に話を聞いてもらう方が救いになった」と言われ、実際に同じ境遇にいない自分が傾聴(聞くだけ)をする意義はどこにあるのか引っかかっている。金田先生が宗教者として大切にされている生き方はどのようなものか。とコメントをされた。

◇金田氏
 同じ境遇に近づくことは難しいが、だからこそ何回も通い続けた。傾聴活動は何年もの積み重ねでお互いの交わりが深まるのであり、待つことが重要である。結果を求めるのではなく、共にいることを徹底していくことが重要である、と自信の経験も併せて応えられた。
 宗教者としては、人に対するまなざし、世界に対するまなざしを自分自身が問いながら生活していると答えられた。

○宇佐美さん(龍谷大学大学院実践真宗学研究科)
 宗教者の感性、受け止める力を養うにはどうしたらいいのか。

◇金田氏
 様々な雑学、芸術、文化、文学を自分の中に取り込んでいくこと。今まで僧侶としての品格を備えながら、真面目な遊び心の中で広がっていくと答えられた。

最後に鍋島教授が丁寧な謝辞を述べられ、グリーフケア講座を終えた。

(執筆・文責:RA山田智敬)

                        金田諦應氏