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【報告】新春シンポジウム「臨床宗教師の現在と近未来」【世界仏教文化研究センター応用研究部門 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター】

2025.01.16

       鍋島直樹本学教授・森田敬史本学教授

2025年1月15日(水)16:00より、本学大宮学舎本館2階講堂において新春シンポジウム「臨床宗教師の現在と近未来」が開催された。本年は阪神・淡路大震災から30年の節目であたる。開会に先立って鍋島直樹氏(本学文学部教授)より哀悼の意が表され、その後に開会の辞が述べられた。

続けて森田敬史氏(同教授)により、臨床宗教師・臨床傾聴士募集要項に関する説明がおこなわれ、併せて2024年度の本学における認定臨床宗教師およびスピリチュアルケア師の資格取得者の紹介がなされた。なお募集要項の詳細については本学実践真宗学研究科ホームページ内にて公開されている。

次に谷山洋三氏(東北大学大学院文学研究科教授)による記念講演「臨床宗教師の現在と近未来」がおこなわれた。谷山氏は臨床宗教師(および臨床傾聴士・スピリチュアルケア師)の養成を主題に、それぞれの差異や活動の拡がりについて話された。

谷山洋三氏

2012年度に「東北大学実践宗教学寄附講座」の開講より開始された臨床宗教師養成は年々に拡大しており、現在では本学実践真宗学研究科を含むさまざまな大学や付置機関にて受講することが可能となっている。そして、その臨床宗教師を受け入れる場所も全国的に広がっており、臨床宗教師がさまざまな医療・福祉施設などで評価され、受け容れられてきていることが看取できる。

さて、現在本学では臨床宗教師に加えて、スピリチュアルケア師・臨床傾聴士の資格を取得することも可能であるが、それらの役割の差異はどのようなものであろうか。

谷山氏は、心のケアの提供には(A)狭義のスピリチュアルケア、(B)狭義の宗教的ケア、(C)宗教的資源の活用、の三種があるとした上で、スピリチュアルケア師・臨床傾聴士は(A)がケアの主体であるが場合によっては(C)にも跨がる活動であるという。スピリチュアルケア師・臨床傾聴士は宗教や信仰に依拠せずに活動を行うが、患者の要望などによっては神社や寺院などの宗教施設や媒体を利用することも妨げられない。

一方で、宗教者として心のケアを提供する臨床宗教師は(A)、(C)にわたってケアを行うものであると定義できるが、自身の信仰を押しつけたり宗教勧誘を行うことはないため(B)に抵触することはない。(B)を伴うケアは飽くまでも「宗教者」の領域である。

また、両者には組織性にも差異があるという。臨床宗教師はもともと九州の地域組織から始まり、全国に拡大してきた経緯を持ち、自ずとさまざまな団体が形成されており、組織性が非常に強い。また、宗教者には普段から話すことに慣れている者が多く、発信力が高いことも特徴である。

一方でスピリチュアルケア師は組織性は弱く、臨床傾聴士はまだ組織はないという。換言すれば、活動は個々の有資格者に一任されているというのが現状である。スピリチュアルケアは「形のないケア」であるためスキルよりメタスキル(態度)が問われる。したがって教育方法にも「型」がなく、感情や態度で相手が話しやすい空間を作る必要がある。世の中も常に変化し続けており、ケアには個別性が高く研究の蓄積もいまだに充足しているとはいえない。

その上で谷山氏は、臨床宗教師・スピリチュアルケア師・臨床傾聴士の「あるべき」姿の模索、追求、活動分野の拡大が必要であると述べられた。そのためにも有資格者の増加は今後の課題とも言える。

さて、さらなる資格者の増加を目指すためにはSV(指導者)の養成も必要である。ただし「指導する立場」の養成は容易ではなく、時間も要する。谷山氏は、SVには(1)自己をより深く見つめ、自己受容を促進すること、(2)自らに与えられた権威性を意識すること、(3)適切な教育的態度を身につけること、の三点が求められると語気を強められた。

最後に谷山氏は臨床宗教師の今後の展望について、まだまだ未開の領域も多く課題も山積しているが、研究としても活動としてもこれからの更なる広がりが期待できると述べられ、講演は締めくくられた。

講演ののち、今年度の臨床宗教師研修プログラムを終えた受講者3名による振り返りが行われ、以下のようなコメントが寄せられた。

研修の振り返りの模様

・研修を通して自分の何が変わったかには実感がないものの、自分を見つめ直す時間が必要であることに気づいたことが収穫である。この経験は臨床宗教師だけではなく、宗教者としての、また一個人としての自分にも糧になったと感じる。

・他者の苦しみや痛みに寄り添うことの難しさを痛感するとともに、それでも患者の方や遺族に対して自分にしかできないことがあるんじゃないかと感じた。

・研修を重ねていく中で、言葉を介さないスピリチュアルケアもあるということが印象に残った。それは座学では学べないことであった。

受講者の振り返りをうけて谷山氏より「自分自身を見つめる」ことは本当に大事なことだが、放置しておけば「自分自身を見つめ直す」やり方を失ってしまう。繰り返し学んだことを反芻し自分自身を見つめる作業を継続してほしい。そして欠点を見つめるのもいいことだが、自身のいい部分も見つめることも大切である。との言葉が贈られた。

最後に鍋島氏よる謝辞が述べられた。鍋島氏は受講者に対し、「臨床宗教師には仲間がいるということ」また親鸞聖人の和讃の言葉、

  如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして

  回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり(正像末和讃、註釈版聖典606頁)

を紹介しつつ、「悪業に悩まれる私を、如来の大慈大悲心が支えてくれている」という言葉を贈られ、本シンポジウムは締めくくられた。

記念写真