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【報告】特別講演「みすゞの読んだアンデルセン童話」

2024.06.21

JULA出版局 柴崎大輔氏・北尾知子氏

「童謡詩人 金子みすゞ展」の開催を記念し、2024年6月19日(水)11:00〜12:30、東黌101教室において特別講演「みすゞの読んだアンデルセン童話」が開催された。第三回目となる特別講演の講師は、JULA出版局の柴崎大輔・北尾知子の両氏が担当された。JULA出版局は1982年に設立された子ども向けの書籍を取り扱う出版社である。第1回講師である矢崎氏が発見したみすゞの手帳に感銘を受け、その全集を刊行して以降、金子みすゞに関する遺品の保管や展示会などを行なっている。

 最初に鍋島直樹本学文学部教授より金子みすゞの略歴・詩の魅力についての説明がなされた。金子みすゞは幼少期より本に囲まれた生活を過ごした。祖母と母は本屋を営み、またみすゞ自身も20歳で下関の書店を手伝いながら、詩の投稿をはじめる。現在、その詩は世界15ヶ国語に翻訳され、多くの人々に親しまれ続けている。(金子みすゞの生涯については、第1回第2回講演も併せて参照)

 次にJULA出版局より講演を賜った。金子みすゞと本は切ってもきれない関係性である。幼い頃から本に恵まれた環境にあったみすゞは、おのずと本の虫となる。また、金子みすゞの生まれた時代は、スウェーデンの女性教育家エレン・ケイが唱えた「20世紀こそ子どもの世紀」の思想を受けて、児童文学がまさに発展しようとする黎明期であった。童謡運動のそのひとつである。童謡については後述するが、当時15歳であったみすゞも、最新の芸術であった童謡に惹き込まれていくのである。

 さて、本に囲まれて過ごした金子みすゞは、どのような本を読んで育ったのだろうか。JULA出版局の北尾氏は、みすゞが投稿した詩の端々にそのヒントが隠されているという。例えば日本の童話。金子みすゞデビュー作は『童話』1923年9月号に掲載されるが、そのひとつのタイトルは「打出の小槌」である。他にもみすゞは「こぶとり爺さん」や「花咲爺さん」、「舌切り雀」など、童話にまつわる詩を多く残しているのである。日本だけでなく、アンデルセン童話やグリム童話、ペロー童話、ギリシャ神話をモチーフにした詩もみすゞ作品には多い。みすゞは幼い頃よりさまざまな本や雑誌を読んで育ってきたことは想像に難くない。

  講演風景

 ただし、実際にみすゞはどの出版社のどの時代に出版された本を読んでいたか、についてはあまり明らかになっていない。口惜しくもみすゞの遺品や資料は、空襲で焼けてしまったのである。しかし、JULA出版局の柴崎氏によれば、みすゞの詩をじっくりと読み解いてみると、いくつかの推測を行うことができるのである。例えば「人なし島」という詩はロビンソン・クルーソー(ロビンソン漂流記)をモチーフにしているのだが、ここには「100枚とばして」という表現がある。この点より類推すれば、みすゞの手沢の『ロビンソン漂流記』は200ページ以上の装丁であったと考えられる。そこで当時の200ページ以上ある『ロビンソン漂流記』を集めたものが本展示第一室の①である。この中にあるのどれかをみすゞは読んでいたのかもしれない。

 また「杉と杉菜」という詩には「青銅(からかね)の豚」という言葉が出てくる。これはフィレンツェを舞台にしたアンデルセン童話の一つであるが、そのタイトルは翻訳者によって種々に異なっているのである。そこでJULA出版局は、みすゞが活躍した時代に出版されたアンデルセンの本の中から、「青銅(からかね)の豚」という翻訳をおこなっていた本を探索し、楠山正雄『アンデルセン童話全集』(新潮社)がそれに該当することを発見した。さらに、本書は有名なアンデルセン童話の一つである「人魚姫」を「人魚のむすめ」と翻訳しているが、みすゞの作品にも「人魚のむすめ」という言葉が登場するのである。またこの本は大正13年9月に発行されていることから、遺稿手帳の収録順序と照らし合わせることで、金子みすゞの詩作の時期を予測することも可能となるのである。

 さらにJULA出版局はみすゞと当時の童謡について言及された。今の「童謡」とイメージが異なるり、みすゞの時代に始まった童謡運動には、思想的・芸術的・教育的な意味合いがより深く込められていたと柴崎氏は推察する。当時の「童謡」の意味を尊重して、みすゞを「童謡詩人」と呼び続けたいと考えているのである。

 野口雨情『童謡作法問答』には、当時の若者にとって「童謡」は、「それは何か」と友達に聞くのも恥ずかしいほどにトレンドであったことが書き記されている。例えば西條八十が書いた童謡である「かなりや」はレコードで発売されると、たちまち大流行しているのである。みすゞの時代の「童謡」には、新たな詩作としての情熱があり、皆がこぞって心血を注いで創作されたものであったのである。野口は先の書で「どんな童謡が後世に残るか」という問いに対して、「自分自身の心持ちを誰にも遠慮することなしに、自由に歌わなければならない」と答えた。まさにみすゞの詩はこの一言に尽きるものであり、だからこそ、みすゞの詩は後世にも残りつづけているのであろう。

 展示会では金子みすゞを育んだ本の世界、そして金子みすゞが心血を注いだ「童謡」という詩の世界を味わってほしい、との言葉で講演は締めくくられた。

記念写真

(PD:西村慶哉)