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【報告】特別講演「金子みすゞ〜いのちへのまなざし〜」

2024.06.17

「童謡詩人 金子みすゞ展」の開催を記念し、2024年6月13日(木)13:30〜15:00、東黌209教室において特別講義「金子みすゞ〜いのちへのまなざし〜」が開催された。第二回目となる特別講演の講師は、本学文学部教授の鍋島直樹氏が担当した。

鍋島直樹本学文学部教授

金子みすゞは1903年、浄土真宗や浄土宗などの信心の篤い山口県大津郡仙崎村で生まれる。2歳の頃に父が亡くなると、下関の上山文英堂の後押しで、金子家は仙崎で唯一の書店、金子文英堂をはじめる。母や祖母は浄土真宗の門徒であり、みすゞも母や祖母とともにお仏壇に向かい手を合わせていた。このような環境が、金子みすゞ作品に影響を及ぼしたことは想像に難くない。本展示会でも「みすゞを育んだもの」として、みすゞが読んだであろう児童書や、みすゞ当時の造りである浄土真宗のお仏壇が展示されている。(金子みすゞの生涯や詩の解説については、第1回講演報告も併せてご参照ください)

本講演は、そのようなみすゞ作品の源泉を探るべく、彼女の詩の世界から浮かびあがる「幸せとさみしさ」に焦点をあて考察するものである。以下に要点を述べていく。

最初に注目すべきは、金子みすゞが綴った「海の生物」に関するいくつかの詩篇である。第一回の矢崎氏の講演で触れられた「大漁」の詩に加え、みすゞには、「おさかな」「鯨法会」といった詩が残されている。

■おさかな

海のお魚はかわいそう。/お米は人につくられる、/牛は牧場で飼われてる、/鯉もお池で麩を貰う。/けれども海のおさかなは、/なんにも世話にならないし、/いたずら一つしないのに、/こうして私に食べられる。/ほんとに魚はかわいそう。(金子みすゞ童謡全集1−12,13)

■鯨法会

鯨法会は春のくれ、/海に飛魚採れるころ。//浜のお寺で鳴る鐘が。/ゆれて水面をわたるとき、/村の漁師が羽織着て、/浜のお寺へいそぐとき、/沖で鯨の子がひとり、/その鳴る鐘をききながら、/死んだ父さま、母さまを、/こいし、こいしと泣いてます。//海のおもてを、鐘の音は、/海のどこまで、ひびくやら。(同6−128,129)

 金子みすゞは、自分たちの喜びと対極にある相手の悲しみを感じ取っていることがわかる。「かわいそう」と思いながらも、その魚(いのち)をいただいている、というみすゞの表現は注目すべきであると鍋島氏は語る。これは、「いのちの尊さ」を大切にしたみすゞならではの表現である。「鯨法会」とは金子みすゞの故郷、仙崎で行われる法事であり、捕鯨でやむなくいのちを失った鯨を追悼し、お寺に漁師たちが集まるものである。実際に仙崎に足を運ぶと、「くじら墓」と書かれた墓石があり、そこには「南無阿弥陀仏」の文字も刻まれている。実は捕鯨をしなくなった現在においてもこの鯨の法事は執り行われているという。それは、岸に打ち上げられたり、網にかかってしまった鯨に向けたものであるという。現在でも亡くなった鰮や鯨に手をあわせる仙崎の人々の姿は尊いものであると鍋島氏は語気を強められた。

 今もつづく仙崎での風習からは、すべてのいのちを大切にした金子みすゞの源泉が垣間見えるのではないだろうか。また、海の生物だけではなく、今はもうこの世の縁が尽きてしまった大切な人々に向けても、みすゞは「幸せとさみしさ」をそなえた詩を残している。

■星とたんぽぽ

青いお空の底ふかく、/海の小石のそのように、/夜のくるまで沈んでる、/昼のお星は眼に見えぬ//見えぬけれどもあるんだよ、/見えぬものでもあるんだよ。(以下略、同3−164)

「みえないけれどある」、まさに母や祖母とお仏壇の前で読んでいた「正信偈」がテーマとなっているのではないかと鍋島氏は考察する。「正信偈」の中で親鸞聖人は、

「われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり」(註釈版聖典207)と讃嘆する。すなわち、仏の救いの光は、煩悩をかかえた私には見えないが、それでも光は私を照らし護ってくれている。そうした安心感が示されているのである。

また、鍋島氏はこの詩を東日本大震災で家族を亡くした方々の前で朗読した時、聴衆が涙を流されていたこという。それは、遺族が「見えないけれども、愛する人は仏となって今も心に生きている」と感じたからであると鍋島氏は述べられた。

また、第1回特別講演でも紹介された「私と小鳥と鈴と」は、矢崎氏も指摘したように、この世に存在するすべての者に存在する意義があることを伝えている詩であると考えられる。では、「みんなちがって、みんないい。」という視点はどのように生まれたのか。鍋島氏は母や祖母と一緒に掌を合わせた「お仏壇」が影響しているのだろうと推測する。みすゞにとってお仏壇とは、亡き父に会える場所であり「見えないけれどいる存在を感じる場所」であったのだろう。それは、「私がさびしいときに、仏さまはさびしいの」(さびしいとき、金子みすゞ童謡全集4−49)と詠んだみすゞの詩のことばから窺うことができるのではないだろうか。

眼に見えないけれど、心の中にいてくれる存在がいる、だからこそ前に向かっていける。みすゞの詩は、そのような明日への勇気を与えてくれるとの鍋島氏の言葉で、本講演は締めくくられた。

その後の参加者からのコメントでは、

・金子みすゞの詩に仏さまの存在が生きていることに驚いた。自身が幼少の頃、テストの用紙をお仏壇にお供えしたことを思い出した。

・金子みすゞの生きた背景と詩が重なる。詩から金子みすゞの背景が伝わってくるように感じた。

といった意見が寄せられた。

(PD西村慶哉)