【報告】浄土教死生観と臨床宗教師のケア 特別講義
2024.01.01
【開催日時】2023年11月28日(火)15:15~16:45
【開催場所】龍谷大学大宮学舎北黌101
【主催】日本学術振興会科学研究費基金特別研究員奨励費「臨床宗教師のケア−現代日本の仏教チャプレンとスピリチュアルケア運動」(23KF0071)研究代表者 鍋島直樹(龍谷大学)
【協力】協力:龍谷大学 世界仏教文化研究センター応用研究部門、人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター、大学院文学研究科「真宗伝道学特殊研究」
【概要】堀内裕子氏(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程3年)と鍋島直樹教授による特別講義が実施された。堀内氏からは「臨床宗教師のスピリチュアルケアとその広がり」というテーマでの発表であった。現代人の「死生観の空洞化」が指摘される中で、人が死に直面した時に、それをどのように受け止めることができるかという問題が、堀内氏の研究の出発点であるという。そのような状況を踏まえて、病院や緩和ケア病棟において臨床宗教師が担うことのできる社会的役割や、臨床宗教師が抱える公共性と宗教性のジレンマ、臨床宗教師の実践と理論の関係などについて解説していただいた。
堀内氏は「私たち自身が、苦しみや悲しみを縁として、自らの人生の意味をふりかえり、死を超えた心のつながりを育んでいくことを願いとする」「生・老・病・死の苦しみや悲しみを抱えた人々を全人的に支援するケア」といった、鍋島教授が示すビハーラ活動の理念も紹介しつつ、仏教思想とケアの理念が統合されていくことに大きな可能性があることを示された。その際、仏教の領域とケアの領域の相互間で「言説のパラフレーズ」が行われているという。それぞれの思想や言葉がどのように影響しあっているのか分析することが重要であると指摘された。
堀内氏の発表を通して新たに得た知見は、臨床宗教師のスピリチュアルケアと宗教的ケアが、支援を求めている人々にとって生死を超えたぬくもりとなる側面があるということである。死生観の空洞化が起きていると広井氏は指摘した。しかし本当に死生観の空洞化が起きているのであろうか。人はそれぞれ身近な家族や聖典に学び、愛する人やペットの死を通してそれぞれの死生観を有しているだろう。幾千年も受け継がれてきた浄土教の地獄と極楽の世界は、人々に支え合って生きる尊さを涵養してきたであろう。この世界の人間の悪を省みるのが地獄の教えであり、孤独な自己を決して一人置き去りにしないのが極楽浄土の教えである。自らの生き方を見つめ直させてくれるのが、浄土教の極楽の死生観であり、病床で感じる孤独さを和らげてくれるケアともなっていくことが望まれる。
後半部では鍋島教授から「地獄と極楽」に関する講義が行われた。『往生要集』には地獄がどのように描かれているのか、地獄と極楽はどのように関係しているのか、源信によって構築された地獄観が現代人の死生観にどのような影響を与えているのか、などといった内容が豊富な資料とともに語られた。地獄の苦しみとして「孤独」が強調されているという部分は、まさにケアや福祉の領域にもつながるのではないかと考えさせられた。
参加者からは、現代人の死生観と当事者性についてや、葬送儀礼に関して、宗教が有する豊富な死生観をどのように活かすことができるかといった質問があがり、堀内氏・鍋島教授と議論が展開された。これからの宗教者の実践や、死生観について、それぞれが想いを馳せる時間となった。
(文責:釋大智)