研究活動

研究活動報告

2021年12月17日(木)シンポジウム「看護と仏教の連携を求めて ~多死社会の終生期に看護者と仏教者は何をすべきか」を開催しました

本シンポジウムはオンライン開催であるが、主催者側の一部は本学大宮キャンパスにおける集会により開催された。進行上の都合により、プログラムの一部を変更した。

 

◎ 開幕挨拶

本シンポジウムの開催に先立ち、鍋島直樹(龍谷大学大学院実践真宗学研究科長)より開幕挨拶として、COVID-19に罹患した患者への見舞いの言葉、および感染防止と治療へ尽力されている医療、社会福祉、行政の方々に対して感謝の意を表し、参加者全員で医療関係者に対して感謝の意を斉唱した。シンポジウムの主旨として、キリスト教の教えを背景に患者と貧しい人々に尽くす看護師たちの姿勢へ仏教も学び、看護と仏教の連携を求めていく旨の説明があった。

座長の河野秀一氏(サフィール代表取締役/臨済宗閑栖住職/看仏連携研究会代表/実践真宗学研究科講師/北里大学講師/日本看護管理学会評議員)からは、自己紹介の後「地域包括ケアシステムに看護師と僧侶・寺院との連携・協働の可能性を探る」と題して、これまで開催したシンポジウムの概要と実績を紹介された。

 

 

 

森田敬史(手前

河野秀一氏(中央)

 

 

 講演は以下の演者3名により行われた。

 

 

◇ 長江弘子氏(東京女子医科大学教授/エンドオブライフケア学会副理事長)

「その人(患者)の生き方を支えるケアとしてのアドバンス・ケア・プランニング~意思表明支援の対話モデルと人材育成」

 

長江氏は、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)について講演を行った。ACPの基礎となる「終末期医療」と「人生の最終段階の医療」の各用語の変遷を紹介され、「終末期医療」が「人生の最終段階の医療」に言い換えられたことに注目し、「終末期」と「人生の最終段階」は同じではないことを述べられた。また「エンドオブライフケア」の概念については、医療だけではなく人間としてどう生きていくかを問うこととされた。

次に、用語の変遷の背景について説明された。慢性疾患が増大したことにより、治療を目的とした急性期医療のみでは限界が生じていること、また高齢者においても医学の進歩はありつつも、生物学的な老いや死といつかは来る死を見据え、死までをどう生きるかという人間として尊厳ある“いのち”の在り方の両方を見据えながら医療を考えていかなければならないとされた。

医療は身体に注目する医学を基礎にしつつも、医学的所見のみで治療を決定するのではなく、病気に関連した生活への影響も視野に入れて考えていくことが重要であるという。患者ではなく「その人」と捉え、一人ひとりの人生が可能な限り善いものとなることを目指し、個別化した医療やケアをどうするかを考えることこそが、エンドオブライフケア、人生の最終段階の医療を考えることであり、さらには人間の生き方に着目した医療の必要性を示された。それゆえ、仏教とのつながりも「その人」自身を支えてゆくものとして、生きる上で大切なものを採り上げてゆく必要があるという見解を示された。

この他にも、エンドオブライフケアを考える際の重要な三つのガイドラインを紹介しながら要点をまとめられ、日常生活・社会生活等における意思決定支援のプロセスの要点について説明された。長江氏は、エンドオブライフケアの基本は語ることであるという認識に立たれている。長江氏自身も、地域で語る場を日常の中に設けた取り組みを行なっており、福岡県の寺院内における活動の動画を紹介された。このようにコミュニティの中で語ること、そして寺を介して人が集まり、寺を身近に感じることも目的であるという。

講演後半では、意思決定支援に焦点化されたお話しをされ、どう生きたいかが重要であることを強調された。その為には、意思表明を促す対話の必要性があり、その意思表明の為の対話モデルを示されつつ、エンドオブライフケアに向けた意思表明を支援するセミナーの実施および結果についての詳細も説明された。

 

 

 

長江弘子氏(右側上段から2番目)

 

 

◇ 關本翌子氏(国立がん研究センター中央病院副看護部長)

「看取りとデスカンファレンス」

 

關本氏は「看取りとデスカンファレンスについて」と題して、「1. 死生観と看取り」、「2. 効果的なデスカンファレンスにするためのポイント」という二部構成での講演を行なわれた。關本氏は34年にわたるがん看護の経験を有する。がんは心・肺疾患、認知症、老衰等と比較すると比較的長い期間、ADL(Activities of Daily Living : 日常生活動作)が高い状態で保たれ、最期の2ヶ月程度で急速に機能が低下する経過の特徴がある。その為、予後が判りやすく、最期の時を最も考えやすい疾患であると言われていることを説明された。

この他、關本氏は先行研究に基づいた「緩和ケア病棟入院中で余命3週間程度と予測されている終末期がん患者の1日の過ごし方に対する意思決定」、「残された時間を巡っての叫び」、「終末期がん患者のQuality of Life(望ましい死のあり方)」等を紹介された。特にACPについては、本人の意思は変化し得るものであることを踏まえ、話し合いが繰り返し行われることの大切を強調されている。

「なぜデスカンファレンスが必要なのか」における説明では、「・さまざまな場面から振り返り、今後の症例に活かす」、「・倫理的検討(教育の場)」、「・全人的苦痛の視点での振り返り」、「・担当医、担当看護師への労い」、「・看護師の心の痛みに対するケアのひとつ」、「・一人ひとりの患者さんを思い出し、胸に刻む」ことを挙げられた。これらの補足説明として、「さまざまな場面から振り返り、今後の症例に活かす」では、100人いれば100通りの生き様・死に様が存在する為、個々への生前からの最善のケアが重要であることを強調した。また「一人ひとりの患者さんを思い出し、胸に刻む」では、間接的に7,000人の患者の死に当たった経験が關本氏にはあり、患者の死を客観的事実としてではなく、思い出して胸に刻む作業がデスカンファレンスにはあると述べられた。続いて「デスカンファレンスの進め方」としては準備が8割以上重要であり、ファシリテーターの役割も重要であることを強調され、この他デスカンファレンスの方法論を詳細かつ多岐にわたり説明された。最後に「忘れられない言葉」の紹介では、關本氏が接した患者たちの言葉を語られている。

 

 

 

關本翌子氏

 

 

◇ 鍋島直樹「看護のための死生観教育と医療福祉機関における臨床宗教師の活用事例」

 

鍋島は臨床宗教師についての講演を行なった。自身が大学院生の頃、病気に苦しむ母親に対して何も答えられなかった経験から、僧侶としての無力さを感じたという。その反省から、死の苦悩を抱えた人々にぬくもりを届ける研究を志したことを述べた。25年間にわたり自宅で母を看取る中で、医療・福祉関係者による支えがあったことへ感謝しながら、特に看護の支援が母親と自身の生きる力になったことを述べた。

次に、本学実践真宗学研究科の設置目的を紹介した後、「宗教は、死や罪という人間の究極的な問題に対して、生きる意味を示す羅針盤であり、死を超えた救いのぬくもりを届ける」ことであるとした。また、「死」という漢字の字義について、部首の「歹」は「骨」・「亡き人」、旁の「ヒ」は「拝む人」・「嘆き悲しむ姿」をそれぞれ意味するものであり、死は亡くなった本人のみで成立するものではなく、その人の死を悲しみ弔う人がいて初めて死となることを強調した。ここでは関連して、マザー・テレサが路上生活者の女性を看取ったエピソードを紹介している。

さらに、鍋島は『一休骸骨』に表現された死生観、ナイチンゲール『看護覚え書』における看護の基本姿勢、ビハーラの意味と臨終行儀という看取りの方法等について紹介している。とりわけ、「逝去」は「ふっつりと折れるように行く」ことであり、「往生」は「これからも一緒」という互いの言葉の違いについて解説した。その後さらに、親鸞の思想から現代の緩和ケアまでを振り返り、患者へ寄り添う姿勢(NOT DOING, BUT BEING.)とは、仏教的に言えば「月愛三昧(闇夜に浮かぶ月があなたを照らし護るように、大悲にいだかれて、そこにいる。)」であるとした。

臨床宗教師の役割は、提唱者の岡部健医師によれば、「死という暗闇に降りていく人への道しるべ」であるという、その実際の役割は田宮仁が唱えた「仏教者屑籠論」に即したものとして、「逃げない、待つ」姿勢の重要性を述べた。さらに、「臨床宗教師による心のケア」にはスピリチュアルケア、宗教的ケア、宗教儀礼に分けられることを説明して、最後に臨床宗教師研修の様子を紹介した動画を紹介して終えた。


 

 

鍋島直樹

 

◎ コメンテーターは以下の3名が務めた。

 

◇ 中村陽子(龍谷大学大学院実践真宗学研究科教授/看護師)

 

中村は看護師として勤めた中で、患者から「どうして私はがんになったのか」、「私のこれまでの行ないが悪かったのか」という問いかけをされた経験を述べた。中村が言葉で否定しても、それは気休めに過ぎない自覚があったことを振り返った。患者は医学では説明できないことを医学の外にその理由を求めることは当然であるという認識を中村は示し、このような時、僧侶たちは医学とは異なる視点から、どのように医療者とは異なる言葉をかけるのかを考え続けてきたという。仮に、自身が宗教者と同じ言葉を言ったとしても、その重みが違うことを臨床教育や訪問看護の中で、自らの課題として思い続けたことを述べた。

中でも、關本氏が述べられた地域におけるカンファレンスに言及しながら、地域の力を借りながら専門職が育つ中に、仏教がどのように生かすかに注目した。加えて、中村は在宅看護学に踏み込んだ中で、老病死は医療の問題でもあり、仏教の問題でもあるという確信を得たという。すでに孤独死、8050問題、ヤングケアラーという問題が生じているが、生活の中で苦しむ人々に対して、医療と仏教が連携していくことにより、その人がその人らしく地域で生きていくことを支え、かつ人生の最終章に関わっていく在り方に深く興味関心を寄せていると述べた。

 

◇ 森田敬史(龍谷大学大学院実践真宗学研究科教授/臨床宗教師研修副主任)

 

森田は講演者3名の話には、「患者および利用者に対して行なわれていること」が共通点であることに言及して、森田自身が病院内で僧侶として勤めていた際、医師から「自分の為ではなく、目の前の方の為に働きを全うしてください」と言われた経験を併せて述べた。森田自身も、様々な人々にこの事は伝えてはいるものの自らの実践でも難しく、その理由は、自分の為に動いてしまうことになるからであり、それをいかに目の前にいる方の為に動けるように意識付けるかが重要であると述べた。

その上で、あらためて3名の話を振り返りキーワードとなる「意思決定」と「対話」について注目して、目の前の方がどのような意思を持っているかを確認して受け取る必要性があり、その際、状況に応じて発せられる言葉を紡ぐ「対話」の必要性があるとした。森田自身の経験では、患者は医師に対しては医師に話す体で話しをされている為、こちらが意思確認をするにしても断片的にしかならない可能性があるとした。その意味では、目の前の方の為にアプローチする多職種連携に繋がるとしている。

この他にも、患者は終末期になると意思も発することも出来なくなる為、そこに滲み出る部分をこちらが感じ取り、情報共有することは宗教的感性を持ち合わせた宗教者がいることにより実現可能ではないか、それが看仏連携と関わるものではないかと述べた。

 

◇ 梯 妙花(龍谷大学大学院実践真宗学研究科3年生/臨床宗教師研修修了)

 

梯さんは「宗教と医療の連携」をテーマにした修士論文を執筆しており、幅広い人脈を持つ看護師を宗教者の立場からケアできないかを軸にしているが、研究を進めれば進めるほど、本当に何も無いということを痛感させられたことを述べた。

特に、鍋島の紹介した臨床宗教師研修の動画に感銘を受けたこと、長江氏の意思決定支援における熟考の視点が大切である点に共感したとした。後者に関しては、梯さん自身も話すことが苦手であり、話す準備については他人事ではないと思いながら共感したという。また關本氏の話の中で登場した、意思が変化し得ることは非常に当たり前なことに気付かされたという感想を述べた。ここで再び、鍋島の講演を振り返り、一人では生きられないということをよく聞くが、死も一人では成立しないことを考えさせられたことを述べながら、梯さんは最後に深く礼をした。

 

◎ 小野優菜(龍谷大学大学院実践真宗学研究科3年生/臨床宗教師研修修了)

活動紹介「死生観光トランプ」

 

小野さんは「死生観光トランプ」の企画・制作の経緯について説明した。この「死生観光トランプ」は、絵とQRコードが印字されているものである。この絵の部分が全世界の「死生観光」になっており、例えばあるカードには、納棺前に遺体を蹴ることで悪霊を祓う南米の一部地域で行なわれる風習の説明がされている。つまり、トランプの枚数だけ世界各地の「死生観光」が行なえるものであり、その詳しい説明はQRコードの読み込みを通して理解を深められるというものである。

なお、本学のある教員によれば、飲み物を飲みながら死を気軽に語れる「デスカフェ」のアイスブレイクとしてこれを用いている。現在では、コロナ禍の影響により自分の死生観が揺さぶられた方々が、新たにデスカフェに興味を示していることを小野さんはその教員から教えられたという。死生観光トランプは様々な場面での用途が考えられ、ウェブ上に掲載したPDFにて無料配布されている為、広く活用を呼びかけた。


 

 

小野優菜さん(上段中央)

梯 妙花さん(小野さんの右隣)

 

 

 

◎ 質問と感想の進行ホストは、内手弘太(龍谷大学文学部真宗学科専任講師)が務めた。

指定質問は保々光耀さん(龍谷大学大学院実践真宗学研究科1年生)と古谷謙宗さん(龍谷大学大学院実践真宗学研究科1年生)が務めた。

 

◇ 古谷さんから河野氏への質問

古谷さんは「地域包括ケア寺院」という言葉を初めて聞いたが、そこにおける看取りおよび宗教者と医療者の連携はどのようなものかを質問した。

これに対して河野氏は「域包括ケア寺院」に対して明確な定義はなく、医療と宗教の連携による地域包括ケアが必要なのではないかという意識から考えたものであるとされた。寺は人が集まる場であり、そこに地域に人々が集まることによりコミュニティとなること、加えてACPの観点からどのように生き、亡くなりたいのか、それを話し合える場であることに関心を寄せているとされた。寺は地域の人々のみならず医療者が共に学べる場であることも視野に入れており、そこでエンドオブライフケアを考えられる可能性について述べた。来年度から全国的展開を目標として、寺において人生の最終段階への不安を話す催しを増加する方向で検討していると答えられた。

 

◇ 保々さんから長江氏と關本氏への質問

保々さんは長江氏が話された死生観育成については、自分たち宗教者たちが携わらなければならないと思ったと同時に、死生観育成を共にしていかなければならないことを考えさせられたと述べた。また早期からの死生観育成が大切ではないかと考えるが、ご意見があれば聞かせていただきたいという質問であった。

 

 これに対して長江氏は、老病死は生活体験から来るものであるとして、中でも死や命の大切さについては幼稚園教育、小学校教育から取り組んでいくことが必要であると述べた。そして、寺が死生観育成の場としては適している理由は、死を自然にかつ身近に考えられる環境として整えられており提供されているからである。あるいは皆で集わなくとも、一人になる時間が死生観育成には必要であるとも考えており、その環境の提供には適しているという見方を示された。そして、死は自分の問題でありながら、周囲の人々にとっても大切な人の死は重要な体験となる。この死を二人称、三人称として体験することにより、死を通して自分の生き方を考える機会になると答えられた。

 

 次の關本氏は、看護師たち医療者自身も家族等の死に対する経験が少ないことから、看取りの多さにリアリティ・ショックを感じることが多い現状を述べた。1年目の看取り教育では、自身の死生観に取り組む授業を展開している。なお、關本氏自身も長江氏に寄せて、大事な患者さんの死を三人称と捉えることはあまりにも客観的であり、二人称では感情が入りすぎることもある。共感的な立ち位置として二.五人称がいいのではと考える。しかしながら、共感疲労からバーンアウトにつながることもある。デスカンファレンスのもう一つの目的である医療者へのグリーフケアとして、自分が何も出来なかったという感情に対して、一つでも二つでも患者さんの役に立ったのではないか、ということを多職種から具体的に承認されることで、今後の継続に繋がるのではないかとされた。宗教者がカンファレンスに参加し、まるごと受け止め「それで良いのだ」という発言があれば、看護師たちの癒しとして大きな助けになるものであると答えられた。

 

◇ 河野氏と鍋島による総括

河野氏は、地域包括ケアは治す医療から支える医療へパラダイムシフトが起きていること、また病院から在宅への転換もあり、死への関りはシームレスになることに言及した。その死の前後において医療者と宗教者が連携することが、将来的に重要なテーマとなるという見方を示された。その意味においては、医療者と宗教者が看取りを共に考えて、家族をサポートしていく体制がこれから求められてくるのではないかを述べた上で、医療者と宗教者両者の問いとして考えて、今後どう考えるべきかという機会になったのではないかという見解を述べた。

鍋島はこれまでに全員が行なってきた議論を振り返り、特に關本氏がカンファレンスにおいて看護師の傍に僧侶がいることの必要性を述べられたことに感謝の気持ちを示した。

 

◎ 「臨床傾聴士研修」開設の発表&入試案内

◇ 那須英勝(龍谷大学大学院実践真宗学研究科長補佐/文学部教授)

那須は日本の超高齢多死社会という現状に鑑み、龍谷大学大学院実践真宗学研究科は2021年度より「臨床傾聴士研修」を新しく開講することを決定したことを参加者に告げた。すでに武蔵野大学、上智大学では同様の研修を開講している為、両学に学ばせていただくものであるとした。本研究科では従来、高度に専門的な宗教者の養成を目指したプログラムを中心に運営してきたが、そこから一歩踏み出して宗教者と宗教者以外のコラボレーションと可能性を引き出す目的で、新しい臨床傾聴士研修を開講した背景を解説した。

 

◇ 森田敬史(龍谷大学大学院実践真宗学研究科教授)

森田はケア実践者の中で、様々に学んで来られている方々からも学ばせていただく姿勢で当研修を始める予定であることを付け加え、既存の臨床宗教師プログラムに乗せていくものであること、今後ホームページ上に詳細を掲載する予定であることを参加者に告げた。

 

 

ここで再び、那須は来年度募集の実践真宗学研究科募集要項と入試日程の補足説明を行ない、鍋島からも本シンポジウム参加者全員に対して謝意を示した。

 

 

◎ 閉幕挨拶

本シンポジウムの登壇者、参加者の方々、京都府看護協会様、本学の運営関係者に対して、那須はあらためて感謝の挨拶を行ない、本シンポジウムは盛況の内に終えた。

 

 

(執筆:PD 日髙悠登)

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